君に預けし心 7

「会長はすごい人なんですよ。あの若さで組を仕切ってるってのもそうなんですけど、他の組長たちとも互角以上に渡り合えるんですからね。前に後藤組ってとこがご法度のシャブの横流しをやったとき、カタつけたのはうちの会長ですからね。後藤組の組長が潜伏してるとこを突き止めて、詫び入れさせて解散させたんですよ」
「それって、すごいの?」
 塁にはいまひとつ、ピンとこないのだ。
「だって誰にも後藤組の組長が隠れてるところが分からなかったんすよ。女のところとか兄弟分のところとかにはいなくて、地下のカジノに潜伏してたんです。誰もそんな情報持ってなかったらしくて、うちの会長がそこで押さえたって知ったときには、よその組長たちは地団太踏んで悔しがったそうですよ」
「なんで悔しかったのかな」
「そりゃ、上からの指示でしたからね。会長がますます山里組での地位を確固たるものにするのが悔しかったんですよ」
「ふ~ん」
「山里組傘下じゃ、暴対法以来、チャカもシャブもやらないことになってるんです。そのどちらも、サツに捕まれたら抜け道がないってことでそれをやったとたんに組は危なくなるってことらしいっす。俺には難しいことはわからないんですけどね」
 熱弁をふるった市橋は、最後をそう言って締めくくった。
「コーヒー淹れますね」
 食べ終えた塁を見て、かいがいしく動く市橋は、このあとの予定を尋ねた。
「仕事はお休みっすか」
「うん、今日はだるくて……」
 なんのせいでだるいのか、言わずもがなである。
「でも今日は亮司さん来ないだろうから、楽かな」
 ぽつりと呟いた塁に、市橋はコーヒーを差し出しながら訊いた。
「来ないって、会長が?」
「うん。今日は遅くなるって言ってたよ」
「それは、来ないってことじゃないですよねぇ」
 そう言われて、昨日の会話を思い出すと、確かに来ないとは言っていなかった。
「そういえば……。遅くなるなら他のマンションとかに行くんじゃないのって言ったら、不機嫌になったような気が…」
「ええっ、そんなこと言ったんすか」
 市橋は大げさに驚いている。それを怪訝な顔をして見る塁は、やはり何も分かっていない。
「なんか変?」
「塁さんの口から、他の愛人のところに行けって言ったようなもんじゃないですか」
 それは少しばかり複雑である。
 他の、ということは塁も愛人の一人として見られているのだろうし、ヤクザの愛人などという立場に満足しているわけもない。
 それに、北条が他の誰かを抱くというのは妙に生々しくて想像もしたくない。
「会長は今までにも塁さんみたいに部屋を与えて世話をするなんてことがなかった人ですからね。その会長が塁さんをこんなに大切にしてるなんて、みんなびっくりしてるんですから。あ、会長には内緒ですよ」
 慌てて付け加えるのがおかしい。
「みんなって……」
「緑水会はもちろん、よその組も多分知ってるんじゃないっすかね。塁さんの個人情報までは知らなくても、そういう相手がいるってことは知れ渡ってますよ、多分。ヤクザは情報が命ですからね」
「そ、そんなに……」
 やくざ社会のこととはいえ、知れ渡っているといわれてショックだった。もちろん、どういう関係かも知られているのだろう。
 そう思うだけで、がっくりと力が抜けてしまいそうになる。
 そんな時、市橋の携帯が鳴った。
「はい、もしも……はいっ! いえ、起きてらっしゃいます!」
 途中、いきなり直立不動になってぴしりと背筋を伸ばした市橋の電話の向こうは、よほど緊張する相手なのだろう。
「はいっ、ただいま! 塁さん、会長です」
 言われて携帯を差し出され、塁は受け取った。
「もしもし?」
『今日は休んだか』
「誰かさんが無理させてくれたからね」
『誰かさんってのは誰のことだ』
 笑みを含んだ口調にむっとしてしまう。分かっていて言わせたいのだ。
「亮司さん以外にいないだろ」
『俺以外のヤツだったら殺すとこだな』
 あまりにもさらっと言われて、本気なのか冗談なのか分からなくなる。
「……冗談だろ」
『もちろん、本気に決まってるじゃねぇか』
 口元を笑みの形にしているに違いない、人の悪い北条の台詞に、どきりとしてしまう。
『塁に手を出したりしたら、そいつの指を一本ずつ切り落として、耳をそいで鼻も落としてやる。それから歯も一本ずつ引き抜いて……』
「聞きたくない!」
 殺伐とした描写を強い語調で遮った塁に、市橋が驚いて塁を見た。彼がこんなふうに強く何かを言うことは珍しいからだ。
『塁には刺激が強かったか。だからまぁ、俺のほかに手を出されないように気をつけろってことだ』
 軽い口調に聞こえるが、本気がにじんでいる。
 塁は携帯を持つ手が汗ばんできた。
「……それで、なんか用があったんじゃないの」
 無理矢理にでも話を変えたかった。
 塁のそんな気持ちを察したのか、北条はすぐに答えた。
『ああ、仕事を休んだのなら昼メシに付き合え』
「えっ?」
 さっきまで殺伐とした話をしていたはずなのに、もう食事の話なのかと、切り替えがうまく出来ない塁は反応が遅れた。
『十二時半に迎えをやる。支度して待ってろ』
「え…あの……」
『夜会えない代わりだ』
 そう告げて、電話は切れた。相変わらずの強引さである。
「……はぁ……。疲れる」
 市橋に携帯を返しながら、思わず洩れてしまった本音である。
「どうかしました?」
「昼メシに迎えをよこすって。その前に怖いこと聞かされたから疲れたんだよ」
「怖いこと?」
「……俺に誰かが手を出したらそいつの指を落とすとか歯を抜くとか…。めちゃくちゃ怖いだろ?」
「いや、そこはそれだけ会長が塁さんを特別大切に思ってるって感動するとこじゃないんすか?」
 やはりやくざと一般人である自分では、考えるところが違うのだろうかと、塁が思った瞬間だった。
「感動ってどこに」
「だってあの会長ですよ? 本気で惚れられてるってことじゃないすか」
「………だって怖いだろ?」
「そりゃそうっすけど。会長がそこまでしてくれるっていうのは異例ですよ」
「してほしくなんかないよ」
 がっくりと肩を落とした塁は、まだ北条の本気が分かっていない。
「だいたい、俺なんかに誰が手を出すっていうんだよ。そんな物好き、亮司さんくらいだって」
 確かに、市橋も最初はそう思った。
 だが、北条に抱かれているうちに自然と艶のようなものが出て、ちょっとした仕草にもはっとするような色気を感じることがある。
 特に今のように情事のあとの気だるげな塁は要注意だ。
 市橋はもちろん命が惜しいから、そんなときは心の中でお経をあげて何も感じない振りをするのだが、塁は自分のそういうところにまったく気付いていない。それを教えたほうがいいのか、言わないほうがいいのか、悩むところであった。
「会長も言ってる通り、とにかく注意してくださいね」
 とりあえず、無難に言うだけは言っておこうと市橋が真面目な顔で告げる。
「注意しなくても大丈夫だと思うけど……」
 無自覚な塁に、自分の身に気をつけろといっても無駄かもしれないと、市橋は先ほど彼が怖がっていたことを思い出して別の言い方をした。
「相手のためにも気をつけないと」
「……そうだね」
 やっと気を引き締めたような顔をした塁にほっとしたと同時に、本当は相手のことなどどうでもいい市橋は、心根の優しい塁の世話係に命じられて良かったと、心から思ったのだった。




 昼に北条が塁を連れて行ったのは京料理の店だった。
 京都の本店は一見さんお断りの格式の高い料亭なのだそうだが、東京の店はもう少し敷居を低くしたらしい。とはいえ、一般人の塁にとってはどちらだろうが入るのに勇気が必要な店構えではある。
 個室に案内された塁は最初のことがあるので続き間があるかどうかを気にしてしまったのだが、それは北条に一笑に付された。
「何もしねぇよ。今はな」
「今はって……」
「あのときが特別だ。早く塁を手に入れるために抱いただけで、普段はこういうところではやらねぇ」
 赤裸々な言葉に、顔に朱が上る。
 そんな塁の反応も楽しいと言いたげに、上機嫌な北条は、運ばれてきた豪華な松花堂を塁に勧めた。
「いただきます」
 箸を取って目にも綺麗な料理のひとつひとつを堪能する塁を見ながら、北条も箸をつける。
「でも今日は夜遅くなるって言ってたから、相当忙しいと思ってたのに、こんなところでご飯食べてていいの?」
「会わなきゃならない相手がいるだけで、格別忙しくはない」
「ふーん」
 それが本当なのかどうかは塁には分からない。
「さっき市橋君と話してたときに聞いたんだけど、亮司さんって偉いの?」
「市橋だと?」
 心なしか、北条の言葉に棘を感じる。
「うん。どこかの組を解散させたとか、それってすごいんだとか言ってた。市橋君、亮司さんに心酔してるみたいだったなぁ」
 塁の口から市橋の名前が何度も出るのは腹が立つ。
「おまえ、市橋としゃべるな」
「なんで?」
「俺がムカつく」
 返事にもなっていないような返事に、塁は首をかしげた。

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